正直なところ、エモいもオルタナもカッコいいもあまりよく分かってはいません。ただただ純粋に自分の好きな音楽を作りました。それが僕にとっては「エモくてオルタナでカッコいい」に近いものになるような気がします。自分に声をかけていただいたのもきっとそういうことだと思っています。よろしくお願いします。
個人的に、憧れに対してあまりいい思い出がないので、テーマの"焼き付き"はネガティブな意味で解釈しました。グロテスクな激しさとまた、煌びやかさをもつ"爛"という語から始めた連想ゲームで作った曲です。楽しんでもらえると嬉しいです。
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回帰より人間でかわいくて破滅的ないのちだっっっ
生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!生きて!
ヒーローに憧れた幼少期から幾年を過ぎ、自分は誰かを守るヒーローではなく引きこもりの陰鬱作曲家だということを悟りました。
作曲家が陰鬱なわけではありません。僕が作曲家であり、陰鬱であるということです。
ならば太陽に照らされる月の様にお零れでも輝きたいと。いやでも月も十分すごいじゃないかと。
太陽に選ばれたのに選ばれてない面する月が腹立たしい。という曲を書きました。
お楽しみいただければ幸いです。
This song's about a child, forced to abandon their dreams - not for survival, but for others' ego. Now an adult, after confronting their pain, they walk alone under the sun, but now they're free.
つい衝動的に叫びそうになる苦い思い出の比重が年々大きくなっていることに加えて、最近は「”ぴったり一人分”に少し足りないくらいのバランスで、なぜか社会に生かされている」ような感覚が膨れ上がっており、いずれ自身の根幹を司る何かがどんどん希薄になっていくのだろうか―――と考えながら道端でふと立ち止まってしまった、そんな夕暮れ時に、おぼろな輪郭で伸びる自分の影は、かわいそうな他人みたく映りました。
現実が電気信号に変換される過程で、またそれが記憶領域に圧縮保存される過程で、どれだけのものが脱落していくのでしょうか。それは思い出したくもない痛みかもしれないし、薄味で掴みどころのない、しかし尊い幸福感だったかもしれない。液晶に焼きつくくらいその光景を映しっぱなしにしたところで、一生取り戻せないものがどうやらあるらしいです。
世界を上手に切り分けられるようになるにつれ、まだ全てが混じり合っていた幼い頃の世界の鮮明さを憧れと共に思い出すようになりました。あらゆる境界はどこか曖昧で、不必要に細部までがよく見えて、人を愛することと音楽を愛することに何の境界も無かったようなあの頃。そのあまりの純粋さに、信仰や自己犠牲すら予感させるような危うい愛。今も心のどこかにこびりついて白飛びしている気がする、全ての愛のためのラブソングです。
僕に焼き付いているもの、自分で焼き付けてきたものを可能な限り鮮明に、音楽にしました。
空間や景色、そしてその香りを少しでも感じ取っていただけたなら、それ以上の喜びはありません。
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